血友病Aの治療薬KovaltryにFDA承認

 

血友病Aを抱えている小児および成人を対象とした新たな医薬品Kovaltry Antihemophilic Factor (Recombinant)が誕生しました。

 

今回のFDA承認は、LEOPOLD (Long-Term Efficacy Open-Label Program in Severe Hemophilia A Disease)臨床試験に基づくものであり、同試験では出血頻度の低下が確認されました。Kovaltryは週2、3回使用します。

 

LEOPOLD臨床試験では、Kovaltryが血友病患者の出血を減らし、定期的な予防法として有用であることが明らかとなりました。Kovaltryは週2回の投与による予防として適切な選択肢となるでしょう。

 

血友病Aは血友病の最も一般的なタイプであり、突発性出血や長引く出血を特徴とします。米国では16,000人がこの疾患を患っています。

 

Bayer社は血友病Aの治療を提供することに、過去20年以上にわたって力を注いできました。それにより得た知識や技術を活かして開発されたのがKovaltryです。

 

今年に入ってBayer社は欧州とカナダでKovaltryの承認を獲得しました。同社は日本でも同薬の新薬申請書を提出しており、今後数ヵ月の間に他の国でも承認を得る計画です。

 

血友病の治療はここ数年で劇的に変化していますが、血友病患者を救うまでの道のりはまだ険しいものとなります。患者が様々な治療法を選択できるようにすることが重要であることから、Bayer社の今回の活躍は賞賛に値します。

独立できなければ翻訳者に将来はない

 

 

今後3年から5年以内に大きな借金や破産を避ける上で、真の独立を獲得し、翻訳会社から自由の身となることがなぜそんなにも重要なのでしょうか。自身のセーフティプランを考慮せず、翻訳会社が提示する低単価で引き受けていると、近い将来における破産を避けることはできないでしょう。レベルの高い最もプロフェッショナルな翻訳者を生かし、低単価で低品質の訳文を提供する者を排除する必要があります。

 

翻訳業が低単価の職業になっている主な理由は、

 

  • 翻訳業者:翻訳会社間の価格戦争による今後の低価格化
  • 翻訳プラットフォームが低コスト低品質になり続けている
  • 外注スパイラル:何重もの外注
  • 機械翻訳Googleなどの機械翻訳の使用増加が、標準的な品質を押し下げている。

 

インターネットや翻訳プラットフォームが実現する前は、翻訳業はフリーランス翻訳者にとって喜ばしき尊い事業でした。翻訳者プラットフォーム(Proz, Gotranslators, Translators Caféなど)の誕生により、低単価で仕事を引き受けるレベルの低い翻訳者が受注するチャンスを得て、単価は急速に低下しました。フリーランス翻訳者は新しい翻訳者プラットフォームに釣り上げられ、メールでの受注に依存するようになり、以前はちゃんとした報酬を支払っていた翻訳会社から定期的に仕事を受けることに頼るようになりました。

 

何重もの外注化

 

このような状況が数年続いただけで、外注を何度も繰り返すスパイラルが生じました。エンドクライアントは翻訳会社Aと契約し、翻訳会社Aは翻訳会社Bと契約し、最終的にはインドやパキスタンレバノンなどの低単価の翻訳会社に行き着くようになりました。このような偽物の翻訳会社はELRA(ものすごい低単価の翻訳会社)と呼ばれています。このような翻訳会社の登録翻訳者は、大抵の場合、翻訳の初心者や学生、副業で翻訳を行うバイリンガルなどになります。ERLAによってはGoogleや他のコンピュータ、支援型ツールを使用し、テキストを機械翻訳します。エンドクライアントがラッキーであれば、別の低品質低単価の翻訳者が訳文の校正を行います。この場合、エンドクライアントは1ワードあたり10円支払いますが、最終的なサービス提供者は1ワードにつき2円しか受け取りません。

 ヒトゲノムプロジェクトのもたらす夢

 

 さまざまな病気において遺伝子の変異が重要な役割を果たしていることがわかってからは1つ1つの病患の原因遺伝子をクローニングするために莫大な費用と労力がかけられてきた.その件数が増えるにつれて,前もって組織的にヒトの全ゲノムの塩基配列を決定しておいたほうが将来的にはよほど効率がよいのではないかという発想が生まれてきた.ヒト全ゲノムは22組の常染色体とX・Y性染色体の合計23対の染色体に分かれて収納されている.各染色体は長さが異なるだけでなく染色液によって特有の縞模様を形成する二とがら顕微鏡下でも区別できる.ヒトゲノムプロジェクトは,これらの染色体を1つずつ取り上げて遺伝子の地図をつくり,体系的にDNA断片を集め,その全塩基配列を決定しようとする,莫大な労力と資金のかかる国家プロジェクトである.その計画はヒトゲノムマッビングを推進してきた研究グループとはまったく別の, DNA構造の解析を指向していたグループからかきあがってきた.その計画を遂行してゆく過程でヒトゲノムマッピンダグルーブも徐々に取り込まれていったのである.

 

 1985年,ジンスハイマー(R. Ginsheimer)の主宰したカリフォルニア大学サンタクルツ校での会議によってヒトの全ゲノムの塩基配列を決定しようというヒトゲノムプロジェクトが正式に提案され,検討が始まった.一方, 1986年には医学的・学間的興味とは別の視点から米国エネルギー省のデリシ(C. Delisi)も同様な計画を考えていた. DOEは1970年代のエネルギー危機のさいに創設された省庁で,80年代に入って状況が変化し,社会や議会に訴える新しい魅力的なプロジェクトに存亡をかけていたのである. DOEは第二次世界大戦時のマンハッタン計画(原子爆弾プロジェクト)から引き継いだ4つの国立研究所を管轄していたので,放射線の生物学的影響の研究にかかかる遺伝子の突然変異と塩鉄配列の決定という意味ではヒトゲノムプロジェクトとも無関係ではなかった.デリシは1986年にはサンタフエで会議を主催し,彼のアイデアに賛同したノーベル賞受賞者分子生物学者ギルバート(W. Gilbert)を担ぎだして「ヒトゲノムプロジェクトはヒト遺仏学における聖杯である」と宣伝した.ギルバートは自らの手でゲノム研究機関(ゲノム社)を設立して,私的に計画を実行に移そうとまでしてヒトゲノムプロジェクトを推進した.確かに人脈の広いギルバートの熱意のおかげで多くの著名な分子生物学者がヒトゲノムプロジェクト推進派の仲間入りをした. 1986年にはサイエンス誌の巻頭論文でノーベル賞受賞者のウイルス学の泰斗であるダルベッコ(R. Dulbecco)は,ヒトゲノムの塩基配列決定によってがんに対する研究がいっそう速く進展するであろうと訴えてゲノムプロジェクトの推進を手助けした.

 

 来国のコールドスプリングハーバーでは1986年6月に「ホモサピエンスの分子生物学」という,標題は地味だが内容は画期的なシンポジウムが開催され,人類遺伝学と分子生物学の巨人たちが一堂に会してヒトゲノムプロジェクトの意義を議論した.しかし結論は推進派にとっては思わしくなく,多くの科学者は一般研究が圧迫されるのを恐れて,無分別に塩基配列を決定するという方針を批判しだ.この会議の後に出たゲノムプロジェクトの修正案では,解析対象はヒトに限らず基礎研究に重要な他の生物も含めて染色体地図と塩基配列決定という方向に移っていった.その線に沿って酵母と線虫のゲノムプロジェクトが真っ先に動き出しか.実際, 1996年の夏には出芽酵母の全ゲノム(約2000万塩基対)のDNA塩基配列が決定されて大きな話題となった.分裂酵母や線虫の全ゲノム塩基配列決定もあとわずかで完成するという.

 

 1988年,ワトソンが国立衛生研究所(NIH)のゲノム事務局を率いることになって事情は一変した.DNAの父としてのワトソンがゲノムプロジェクトを強く推進するようになってから, NIHはDOE以上の予算をゲノムプロジェクトのために計上するようになった.その後,米国では本格的にゲノムプロジェクトが推進されており,21世紀初頭にはヒトの全塩基配列が決定される予定である.

 

 1986年のダルベッコによるサイエンス誌の巻頭論文は世界中の研究室で大きな論議を巻き起こした.真っ先に対応したのはイタリアで,イタリア出身のダルペッコを運営委員長にして1987年には早くもゲノムプロジェクトをスタートさせた.基礎研究の上では後進国であったイタリアは,分子生物学で世界をリードする立場にたつ近道はゲノムプロジェクトにあると考えたのである.英国では医学研究委員会(MRC)のブレンナーとイギリスがん研究基金(ICRF)のポトフー(W.Bodmer)とが中心となってゲノムプロジェクトをスタートさせた.フランスではCEPHを中心に計画がスタートしか.そのぼかドイツ,デンマーク旧ソ連,日本,カナダなどでも計画がスタートし,情報の先取権や公開を巡って政治的な色彩を帯びてきた. 1988年のコールドスプリングハーバーのシンポジウムでHUGO(human genome organization)と呼ばれる国際組織がっくられ,定期的に国際会議を開いたりして各国間の調整を行っている.

 

 ヒトのゲノムに刻まれた30億個もの塩基配列は,生命が地球に生まれてから40億年の間にしるされてきた地球最古の古文書であるともいえる.その解読は人類にとっての貴重な知的財産となる.ヒトで成功すれば,その余勢をかってその他の高等生物のゲノムプロジェクトも遂行されるであろう.現にイネやブタなどの,より生活に密着した生物のゲノムプロジェクトもすでにスタートしており,技術が年々進むにつれて塩基配列決定のスピードもますます早くなっている.この知識をもとにすることで21世紀には基礎生物学がさらに飛躍的に発展することが期待できる.そうすれば応用生物学の研究も加速されるであろう.たとえば遺伝的組換え農業がいっそう進展し,砂漠や極地など従来では植物が育たなかった環境においても農産物が収穫できる日が到来するかもしれない.植物に医薬品を作らせる試みも進むであろう.現にタバコにつくらせたヘモグロビンは動物のヘモグロビンと同じ効率で血液中で酸素を運ぶという.輸血用の血液をぽかの動物や植物につくらせるなどという話は従来は夢物語であったが,基礎生物学の知識が増せば現実化も夢ではなくなる.クローン家畜を産み出すことの成功は畜産業に革命をもたらすだけでなく,家畜に有用なバイオ医薬品を大量につくらせる技術が飛躍的に進展したことを意味する.

 

 医学の世界では将来大きく進展するであろう遺伝子診断・遺伝子治療・DNA鑑定などにおいてDNA塩基配列の情報は必須のものとなる.遺伝子診断の技術が進むにつれて,個人が自分の遺伝子の弱点を知って病気の発症を予防するという新しいタイプの予防医学の分野が開かれるかもしれない.その意味で仏ゲノムブロジェクトの成果は生活により密着した影響を及ぼすことになるであろう.その影響はよい点も多いが,悪用されると取り返しのつかないような危険な事態に陥る恐れも十分にある.

 

 その1つにDNA鑑定による個人の遺伝情報の検査がある.ヒトの全塩基配列が解明されてしまうと,個人の持つDNA塩基配列の特定の部分をPCRによってたちどころに解析できるようになる.これは考えてみると恐ろしい技術である.なぜならばDNAの情報は被験者となった本人のみでなく,その親族や子々孫々までの遺伝情報が把握されてしまうことを意味するからである.もし,この情報をある機関で集中管理されることになると,情報ファシズムにつながってゆく恐れかおる.とくに個人情報の保護という意識の薄い日本においては,いったん動き出して,その後なし崩し的にDNA鑑定が進んでゆき, DNA情報が大量に蓄積してしまうと歯止めがきかなくなってしまうであろう.多くの国民がこの危険性を早めに察知し,前もって法律を整備してプライバシー侵害から個人を守る体制をとっておくことが必要であろう.

 

 

 

 ヒトゲノムの遺伝子地図

 

 ヒトのゲノムマッピングの歴史は意外と古く, 1911年に米国コロンビア大学モーガン研究室のウィルソン(E.B.Wilson)が特徴のある遺伝パターンの解析結果から類推して色盲の遺伝子がX染色体上にあると提唱したときにまで遡ることができる.X染色体は性に依存する表現型を示し,顕微鏡下でも異常がみつけやすい.そのため,その後の50年以上もの間はX染色体と連鎖した遺伝性病患の特徴的な遺伝パターンが重要な遺伝子マッピングの方法でありつづけた.X染色体以外の染色体上に遺伝性病患の原因遺伝子がはじめてマップされたのは1968年のことである. 1960年代の終盤に入ると体細胞融合法が開発され,ヒトとマウス染色体を融合させることで少数のヒト染色体を持ったマウス細胞株が樹立できるようになった.その技術は体細胞遺伝学へと発展し,遺伝子地図づくりを飛躍的に進展させる原動力となった.このころ特殊な蛍光色素によって各染色体に特有な縞模様が染め分けられることがみつけられ,染色体分染法(バンティング)として工つ1つの染色体を同定できるようになった.

 

 1980年,ボッシュダイン(D. Botstein)やデービス(R. Davis)らはRFLPを示す遺伝子マーカーを体系的に見いたして組織化することでヒト全ゲノムの遺伝子地図を作製することを提唱した.染色体土に散在するマーカーを用い,遺伝性病患の家系で示される発症と連鎖するRFLPとの関係を解析すれば病因遺伝子の染色体上の位置を特定できる可能性を示したのである.酵母の分子遺伝学者であったボッシュダインらが,酵母で成功してきた分子遺伝学的手法をヒトの遺伝学に応用しようとして考えついたこのアイデアは多くの研究者を魅了した.その影響で多くの研究者が遺伝子地図作製へと参加することとなり,研究は世界各地で着実に進んでいった.

 

 1983年に入ると遺伝性病患を持つ家系のDNAマーカーを用いたRFLPの連鎖解析によってハンチントン舞踏病の原因遺伝子を第4染色体上に同定したとの報告が出された.続いてデュシェンヌ型筋ダストリフィー遺伝子がX染色体短腕に同定されると,これまで冷ややかだったヒト遺伝子学者までがこの方法の威力に圧倒されるようになった. 1985年には嚢胞腎症,網膜芽細胞腫嚢胞性線維症の原因遺伝子の染色体上の位置決定というさらに大きな成果が発表された.1987年には慢性肉芽腫症(CGD),デュシェンメ型筋ジストロフィー網膜芽細胞腫(RB)において染色体の配座点から出発して機能の不明なまま原因遺伝子がクローニングされた.これらの成果によりRFLPによる遺伝子連鎖解析法は一躍注目を浴びることとなった.しかし,それでもなお旧来の体細胞遺伝学や顕微鏡観察による染色体欠失という研究結果を補助的な手段として用いたという弱みはあった. 1989年,嚢胞性線維症(CF)においてはじめて, RFLPによる遺伝子連鎖解析単独で原因遺伝子のクローニングが達成された.嚢胞性線維症は欧米では患者も保因者も多いため,その原因が解明された社会的意義は大きく,遺伝子連鎖解析の信用度を大いに高めたのである.

 

 1987年には彼らが顧問をしていたコラボラティブ・リサーチ社の研究チームがはじめてまとまったヒトゲノムの遺伝子地図を発表した.これが刺激となって,それまで各国で細々と続けられていた地図づくりと,それをもとにした遺伝性病患の連鎖解析が熱狂の様相を呈しはじめ,その後の数年間は多くのブルーフが激しい競争に巻き込まれていった.競争からくる無益な緊張を解消し,世界中の研究ブルーフの協力関係をつくってデータを1個所に集中する重要な役割を担ったのは,ちょうどそのころパリに設立されたヒト多型性研究センター(CEPH)であった. CEPIIの提唱で世界中から遺伝性病患を起こす40家系もの貴重な培養細胞が取り寄せられCEPIIに保管された.その後,これらの家系におけるRFLPを体系的に調べてDNAマーカーを1列に並べ,より詳細な遺伝子地図示つくられていった. 1996年には数多くの遺伝子マーカーによって全ゲノムをカバーする遺伝子地図が出来上がった.そのおかけで現在では自分の興味ある染色体部分に存在するDNA断片が電話やファックスによって即座に注文できる状況になっている.

 

遺伝子治療

 

 遺伝性病患をはじめとして多くの病患で遺伝子の変異が病因であることがわかってくると,外部から正常な遺伝子を患者に導入して発現させることで根本的な治療をしようという遺伝子治療(gene therapy)の考え方が生まれてきた.遺伝子治療は遺伝性病患のみでなく,がんやエイズあるいは一般に成人病といわれる幅広い病患にまで有効であろうと期待されている.しかし,遺伝子治療によってこれまで解決法のなかった難病の治療が可能になるという期待が出てくる反面,外来の遺伝子を導入して形質を変えるのは人間改造につながるのではないかという倫理的な間題点も浮上してきた.すなわち技術が進展し,安全に遺伝子を導入して治療することが可能となると,美人になれる遺伝子や背の高くなる遺伝子,頭のよくなる遺伝子を導入したいという要望が出てくるおそれは十分にある.そのような風潮が出てくると,遺伝子の優劣そのものが議論されるようになり,優生学的発想に基づく差別や大種間題などのゆゆしき社会間題に発展しかねないからである.

 

 遺伝子治療の可能性について大きな社会的波紋を投げかけたのは, 1980年にカリフォルニア大学の医療チームが倫理的・技術的議論のないままサラセミア患者にグロビン遺伝子を導入するという臨床実験を強行した事件である.人道的にみても危険の多いこの種の事件の続発を恐れた米国政府は, 1985年には米国NIH (National institute of Health)に“遺伝子治療に関する/卜委員会"を設けてガイドラインを設定し,それ以降はこの委員会の認可なしでは遺伝子治療が実施できなくなっている.このガイドラインによると,外来遺伝子を導入する臨床実験は体細胞に対してだけ許され,子孫に遺伝する生殖細胞に対して行うことは禁止されている. 1989年にはNIHのローゼンバーグ(S. A. Rosenberg)やアンダーソンらによるがん患者へのマーカー遺伝子の導入実験がはじめて許可され,遺伝子導入ベクターの安全性や効率が調べられた. 1990年にはその実験結果をもとにして計画された,重症免疫不全症であるアデノシンデアミナーゼ(ADA)欠損症の患者への正常遺伝子導入の遺伝子治療に対して認可がおり,NIHのクリニカルセンクーにおいて4歳の女児に対して世界初の遺伝子治療が施された.

 

 この患者は生まれつきアデノシンデアミナーゼ(ADA)という酵素が異常なため免疫力がほとんどなく,普通の人が平気なちょっとした感染でも死にいたってしまう.治療法はないので,患者は感染を防ぐため他人とは接触できず,一日中家に閉じこもっていなければならない.この遺伝子治療においてはまず患者のリンパ球を採取し,試験管内で正常ADA遺伝子を導入したうえで患者に返すというex vivo遺伝子治療法が採用された.経過は良好で,治療開始から1年後には患者は幼稚園に通いけじめ,現在ではリンパ球の数もほぼ正常になり,半数のリンパ球細胞で導入した正常遺伝子がはたらいているおかげで普通の子供と変わらない生活を送っているという.

 

 この成功に勇気づけられ,米国では家族性高コレステロール血症,血友病嚢胞性線維症などの単一遺伝子の変異による遺伝性疾患に対する遺伝子治療の計画が進み,すでに100人以上の患者が遺伝子治療を受けている.脳腫瘍への臨床応用も始まり, NIHで遺伝子治療を試みた15人の患者のうち8人で腫瘍が縮小したという結果が報告されている.日本でも1995年には北海道大学附属病院で4歳の男児(ADA患者)に対して最初の遺伝子治療が施された.その後,岡山大学熊本大学東京大学医科学研究所,がん研究会附属病院などでがんの遺伝子治療の計画が進んでいる.岡山大学の計画ではかぜの原因となるアデノウイルス(二本鎖DNAゲノムを持つ)を無害化してベクターとし,がん抑制遺伝子を内視鏡などを使って肺がん患者のがん細胞に直接導入するという遺伝子治療法を合計30人のがん患者に施す予定である.熊本大学の計画ではエイズウイルスに感染しているがいまだ発症していない4人に対し,免疫力を高めてエイズ発症を抑える目的で遺伝子治療を行う.エイズウイルス遺伝子の外皮タンパク質をコードする部分をレトロウイルスベクター(RNAゲノムを持つ)に組み込んで患者に注射し,そのタンパク質を攻撃する免疫細胞を増やす.この免疫細胞は生きたエイズウイルスに感染しているリンパ球などの細胞も攻撃するはずなので発症を遅らせると期待されている.東京大学医科学研究所の計画では腎臓がんの末期患者からがん細胞を採取して培養し,免疫機能を担うTリンパ球を活性化する遺伝子を導入する.放射線を当ててがん細胞を不活性化してから体内に戻し,がんを標的にする免疫機能を高めることを期待する.がん研究会の計画では抗がん剤を細胞の外に排出する機能を与える遺伝子(M1)R /)を乳がん末期の患者の正常な骨髄細胞に導入し,抗がん剤を大量に適用できるような状況をつくる.乳がんにきく抗がん剤は骨髄細胞にも影響を与えるため,副作用が強く適用量に限界がある. MDR1遺伝子導入により,副作用を抑えてがん細胞のみを効率よく殺すことを目指す.

 

 遺伝子診断のもたらす諸問題

 

 遺伝子診断の技術が進展してゆくにつれて,成人や小児だけでなく胎児までが将来どのような病気にかかりやすいかがわかるようになってきた.さらには誰を結婚相手に選ぶかによって,将来生まれてくるであろう子供が中年以降にかかるであろう病気の予測をつけることさえできる.この知識をうまく利用すれば,前もって予防を施すことで本来は発症したであろう病気を未然に防ぎ,病気が軽いうちに治療することができる.これで多くの人が大寿をまっとうするまで健康でいられるという夢に一歩近づくことになろう.

 

 多くの遺伝性疾患の原因となる遺伝子の変異は劣性であるため,片方の染色体の遺伝子が変異を起こしていても発病しない保因者は予想以上に多い.保因者同士が結婚した場合にのみ,その両親から生まれてくる子供のうち4分の1の確率で両方の染色体の遺伝子がともに変異した子供が生まれ発病するのである.そこで赤ん坊が母親の子宮にいる間に羊水を採取して,その中に混入してくる少数の胎児の細胞からPCKによってDNAを採取して遺伝子診断をする.そのときに胎児の遺伝子が両方とも変異していればその子は生まれてくると必ず発病する.しかし,たとえば胎児の段階でその子が生まれれば必ず発症するという事実が判明した場合,堕胎すればよし,という風にわりきれない倫理的・宗教的な諸間題が新たに生まれてくる.それだけでなく,保因者同士の夫婦でも正常な子供のみを産付ことで正常な遺伝子を残すことは人類全体のためによいという発想は,優生学的な差別感を人々の心の中に植えつけるのではないかというおそれも生じるのである.

 

 自分が,あるいはやがては生まれてくる子供が遺伝子診断によって病気の原因となる素因遺伝子を持つかどうかがわかることが,社会的にどのような間題を引き起こすか否かはまったく未知である.もし,その病気についてしっかりと治療や予防の方針が定まっていて,遺伝性素因を持っていることがわかった場合に,なんらかの治療や予防を施せば発症が防げるならば,遺伝子診断は有用な情報をもたらすことになる.しかし「あなたはこの恐ろしい病気を20年後には必ず発症しますよ.でもその予防法も治療法もありません」というような遺伝子診断をしてもらってなんのメリットがあろうか.予防も治療もできないのなら知らずに過ごしたほうがよほど幸せである.そうなると自分が素因遺伝子を親から受け継いでいるか否かを知りたいと思う権利とともに,知りたくないという権利もわれわれは行使できるはずである.その権利をどのような形で保障するかについて法曹関係者のみでなく幅広い国民の議論が必要となってくる.

 

 次に間題となってくるのはプライバシー保護の間題である.遺伝子診断のデータのようなプライベートな情報は必ずや悪用される危険をはらんでいる.米国ではすでに生命保険会社が,保険に加入するさいに遺伝子診断の結果を提出させた場合,遺伝性病患の素因遺伝子保有の如何によって掛け金をどう変えるべきかという計算を始めているという.遺伝子診断の結果と現在行われている医師の診断書の提出とを同列に考えてよいものなのか,これはむしろ人権間題ではないのか.大いに議論すべきであるだけでなく,早めに法律制定などして手を打っておかないと現実のほうがずっと早く進んでしまう可能性かおる.遺伝子診断の結果が,生命保険のみでなくスムーズな就職や結婚の妨げにまでなり,新たな差別を生かようになれば明らかに人権問題である.情報管理のルールと個人のプライバシー保護に関する制度を法律的に完備する準備を一刻も早くスタートするべきである.

ゲノムの刷り込み現象

 

 メンデルの遺伝の法則においては両親から遺伝する1対の対立遺伝子のはたらきは等価であるという暗黙の前提かおる.それはたいていの場合は正しいが,例外はある.すなわち,父母由来の遺伝子のうちのある領域が受精以前に修飾されることで区別され,子のゲノムにおいてどちらか一方のみが遺伝子として発現される現象である.これをゲノムの刷り込み現象(genomic imprinting)と呼ぶ.この刷り込みは子の世代でいったんは消去され,次世代では新たに同様の刷り込みが起こる.この点で刷り込みはいわゆる遺伝的な現象ではないため,外遺伝的(epigenetic)な現象と呼ばれる.刷り込みにかかわる修飾として注目を浴びているのがDNAのシトシン塩基のメチル化である.とくにCGという配列が集中して存在する領域(これをCGアイランドと呼ぶ)のCがメチル化されるケースが多い.一般にメチル化を受けたDNAはmRNAへの転写が起きにくくなることで発現が抑制される.

 

 マウスの成長因子の1つであるIGF-II遺伝子(4び2)についてゲノム刷り込みがくわしく解析されている. iが2は父親より遺伝した場合には発現してマウスの成長を促進するが,母親から遺伝した場合にはゲノム刷り込みのためまったく発現しない.父母のどちらかから変異したigf2を受け継いだマウスの成長の度合いを調べてみると,子供が変異zが2を母親から受け継いだ場合にはもともと発現していないのであるから問題なく,正常な父親由来igf2が発現してできた正常なIGF-IIタンパク質によって普通に成長できた.しかし,変異を父親から受け継いだ場合には,正常な母親由来のzが2は発現が抑制されたまま,異常なIGF IIタンパク質しか発現されずにマウスは成長がとまってしまったのである.

 

 いくつかの遺伝子診断でゲノム刷り込みが関与していることがわかってきた.また腫瘍の発生にもゲノム刷り込みが報告されている.たとえばある種の骨肉腫の発生の鍵を握るRBと呼ばれる遺伝子の欠落のヶ-スでは母親由来の場合のほうが欠落しやすいとの報告がある.一部の小児のがんの発生の原因となっているウイルムス(Wilms)腫瘍の場合には,本来あるはずのゲノム刷り込みが消失し(LOI : loss of imprinting), IGF-IIタンパク質が過剰に発現されている.