細胞周期のチェックポイントとがん

 

 それではなぜ,がん細胞において染色体がかくも不安定になっているのであろうか.その謎を解く鍵となるヒントが, 1989年,ハートウェル(Hartwell)によってはじめて提唱された細胞周期のチェックポイント(checkpoint)という概念に隠されている.チェックポイントの研究は1990年代に入って酵母で研究が急速に展開されはしめたぽかりで,いまだ五里霧中の状態であり,哺乳動物細胞のチェックポイントの研究にいたっては始まったばかりである.したがってがんとのかかわりについてもデータは少ないが,がん細胞特有の細胞分裂における染色体の欠失という現象を理解する上では避けて通ることのできない概念であることは確かである.

 

 真核生物の細胞は1回の細胞周期を経て1回だけDNAを複製して細胞分裂を行う.1回の細胞周期は形態上の変化の乏しい間期(interphase)と,わずか30分間くらいの短い時間帯にダイナミックな形態上の変化を起こして分裂する有糸分裂期(M期; mitosis)という2つの基本プロセスに分けられる.間期はさらにGi (gap 1)期, S(DNA synthesis)期, G2 (gap 2)期の3つの特徴的な時期に分けられる.細胞周期はかくしてGI→S→G2→M→G1というように規則正しく循環するがこの逆向きには決して進行しない.動物培養細胞では通常の細胞周期は0,(6~工2時間), S(6~8時間), G2 (3~4時間), M(0.5~1時間)というスケジュールで進む.

 

 DNAの複製と分配(有糸分裂)の過程は,遺伝情報を正確に分裂後の細胞に伝達するという意味でとくに重要である.チェックポイントはこの過程を正確に進行させるために細胞に設定された監視点で,そこで作用するチェックポイント因子は作用機序の違いによって次の3つに大別できる.0異常をモニターして検出する検索因子(センサーI sensor/detector), c検出した異常を修復装置に伝える仲介因子(mediator), c修復あるいは破壊を実際に行う作動因子(effector).  チェックポイントは細胞周期のいくつかの時点で設定されているが,がんとの関連でとくに重要なのは以下の3つのチェックポイントである. cDNA損傷などを検知してG1後期に細胞周期停止を起こすG1期チェックポイント,@S期の開始・遅延・完了あるいはDNA損傷を検知してG,期停止を起こすことでM期開始を制御するS/Mチェックポイント,@染色体の凝縮・分配と細胞質分裂を連動させるM期チェックポイント.

 

 0に分類される典型的な例としてがん抑制遺伝子のp53があげられる.X線などによりDNAが損傷されたままS期に侵入すると,異常になった塩基がそのまま複製してしまい,がん細胞が生じる原因となる.p53の役割は,それを防ぐためにp21と呼ばれる阻害タンパクを発現誘導して細胞周期をG1期の後期で停止させ,その間に自らDNA修復反応に携わることである.もし修復不能なほどにDNAが損傷を受けていた場合には,細胞死(アポトーシス; apoptosis)のスイッチを押して異常細胞を殺してしまうという,もう1つの重要な役割もp53は担っている.p53は特定の遺伝子の転写を制御している転写制御因子で,それらの標的遺伝子は細胞周期や細胞死(アポトーシス)において重要な役割を果たしているものが多い.このように1つのタンパク質で重要な役割をいくつも果たしているため,いったんp53が欠損してしまうと,その細胞は高い確率で無制御のがん細胞と化してしまうのである.臨床的には多くのがん患者のがん細胞で高い頻度でp53の欠失が報告されている.

 

 @に分類される例としては常染色体劣性遺伝性病患である毛細血管拡張性運動失調(AT : ataxia telangiectasia)の原因遺伝子, ATM (AT mutated)があげられる.患者は発がん率の増加を起こすのみでなく,小脳性運動失調(ataxia),毛細血管拡張症(telangiectasia),精神遅滞,免疫不全,早老症状など幅広い症状を呈する. ATMはリン酸基をホスファチジルイノシトール(PI:phospholipid phosphatidylinositol)へ転移するキナーゼ類が分類されるPIK(PI kinase)ファミリーに属する巨大なタンパク質キナーゼ(3056 a.a.)である.AT患者の細胞ではDNA損傷のある状態ではDNA複製を制御できず,染色体の不安定性も観察される.ATMがp53を標的としてリン酸化し, p53を活性化するという可能性も指摘されている. ATMと類似なタンパク質であるFRP1(FRAP-related protein)も@に分類される例で,欠損すると変異原(X線,紫外線など)に感受性となるが,臨床的なかかわりは薄い. DNA依存性タンパク質キナーゼの触媒サブユニット(catalytic subunit)であるDNA-PKcsもATMと構造が類似したタンパク質キナーゼである. DNA PKcsはKuという名のタンパク質を伴ってDNA損傷を認識し,傷(nickやgap)を持つDNAと結合してキナーゼ活性を現し,転写因子をリン酸化する.欠損すると細胞は放射線に感受性となり,修復機能が欠如する.

 

 @については酵母で研究が進んでいるものの,哺乳動物細胞では未知の部分が多く残されている.細胞はS/Mチェックポイント機構を無事に通過すると,まず核膜が崩壊し,それまで核内に分散していた染色体は紡錘体に引っ張られる前に凝縮してサイズが小さくなる.チェックポイント機構がうまくはたらかないとDNA合成の完了を待たずに染色体が凝縮する末成熟染色体凝縮(PCC:pre-mature chromosome condensation)という現象が起こり,その結果として染色体の脱落,欠損という悪性度の高いがん細胞の特徴を帯びてくる.染色体凝縮を制御するチェックポイント因子であるRCC I が欠損すると,細胞はS期未完了の状態のまま染色体凝縮を起こしてM期に進入する.この現象を未成熟有糸分裂(premature initiation of mitosis)と呼ぶ.臨床的ながんとのかかわりはまだ報告されていないが,がんの悪性イ[Sと染色体の不安定化をどのように結びつけるか興味深い.