福祉のまちづくり条例からハートビル法へ

 

 かくしてバリアフリーは障害者福祉に始まったが、いざ高齢化がのっぴきならない問題とわかってからは、高齢者のための必須の課題として広く浸透することとなる。もっとも高齢者問題は、とくに日本においては人口動態統計に現れているとおり、半ば障害者問題でもあるのが実情である。ただし、そういう高齢者の障害と、高齢者ではない障害者の障害との間には、障害の受容、進行などの面でおのずと違いがあるから、その点の区別は必要である。

 また、健常者もいつ障害者になるかもしれないし、一時的に障害者と変わらぬ状態になることはいくらでもあり得る。したがってバリアフリーというのは、障害者や高齢者にとって住みにくいところは健常者にとっても住みにくい、時に危険でさえあるという考えに立って、だれにとっても住みやすいまちづくりをしていこうという、要するにノーマライゼーションの一手段なのである。

 実はこのことに、健常者を基準にまちづくりがなされていた問には気がつかなかった。人間の身体には順応性があるからである。それが1960年代後半に入り、カー、クーラー、カラーテレビの3Cが三種の神器と言われる時代になり、まちが車優先のつくりになるにつれ、ようやく人々がおかしいと気づき始めた。至るところに横断歩道橋が設置され、健常者でさえ不便を感じるようになったからである。

 1970年代になると厚生省(現厚生労働省)は福祉まちづくり事業を展開し、これはやがて自治体における福祉まちづくり条例へと結実していく。 1977年の神戸市の「神戸市民の福祉を守る条例」は先駆的なものであるが、福祉まちづくり条例が全国の都道府県に整備されるようになったのは1992年以降のことである。

 また他方では1980年代以降、各自治体はハード面のバリアフリーの標準仕様の整備に取りかかり、この動きは1994年、「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の促進に関する法律」(通称ハートビル法、ハートフルなビルの意)となって結実した。翌1995年には建設省(現国土交通省)は長寿社会対応住宅設計指針を都道府県等に通知し、「長寿社会対応住宅設計マニュアル一戸建住宅編/集合住宅編」を刊行した。

 長寿社会対応住宅というのは次のような考えに基づいている。すなわち、人口の1/4が高齢者という時代になると、高齢者を含む世帯数はかなり高い割合を占めることとなり、すべての住宅に高齢者が居住する可能性があるものと考える必要がある。したがって、すべての住宅が高齢者が居住できるようにしつらえられてあり、高齢者だけでなくあらゆる年齢層の居住者にとっても安全で使いやすく、快適な住宅でなければならない。

 さらに長寿社会対応住宅はバリアフリー化による住宅費用の増加と、その結果もたらされる介護費用の軽減を勘案した、社会的なトータルコスト節減の観点から提案されたものでもあり、これはゴールドプランにおける在宅福祉の施策に呼応している。

 そして、2000年には通称[交通バリアフリー法](高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律)が施行され、ハートビル法がカバーしていなかったルートのバリアフリー化が法的に裏づけられた。これにより、点(施設)から線(交通ルート)、さらに面(地域)のバリアフリーへと充実させていく道が開かれたといえる。