業界用語と造語の問題点


 パソコンのユーザーが世界的に有名なソフトウェアを購入し,自分の機器で使おうとしたがだめだった.そのユーザーは,対処法を教えてもらおうと考え,メーカーに電話をかけた.メーカーは,ユーザーのハードウェア規模が不十分だと判断して,こう伝えた.

  「環境を設定し直してください」

 翌日,ユーザーから再び電話があった.

  「機器を2階の窓際に置いたのですが,動きません」

 メーカーにとっての「環境」とは,ハードウェア仕様のことであり,ユーザーにとっては,まさに環境は環境でしかない.ある週刊誌に載った大手コンピュータ会社からの報告である.

 東京築地の市場にある魚問屋さんが,大型冷凍庫を設置した.メーカーの営業担当者が機器の調子を確認に訪れ,電気系統の結線の不備を見出した.アース線がはずれていたのである.

  「だめですよ,アース線を接続しておかなければ」

 問屋の主人は,間髪を容れずに,

  「なに言っているんだ,マニュアルに,アースをはずせ,と書いてあるじゃないか」

と,その冷凍庫用マニュアルを開いた.そこには,

  「かならず,アースをとってください」

と書いてあったのだ..「アースをとる」とは,電気の専門家にとっては「採る」であり,素人のユーザーの視点では「取る(外す)」ことなのである.

 このように,安易な業界用語は,誤解の回路を形成しやすい.読み手の視点で言葉を選ぶことが必要である.業界用語は,ほとんどが造語である.なかには,ほほえましい言葉,なるほどと思う言葉も存在する.

 造語で困難をきわめるのは,特許・実用新案など,工業所有権法関連のドキュメントに出てくる言葉である.次に紹介した言葉を理解できる方は,何人いるだろうか.専門分野じゃないからわからない,と答えるかもしれない.そうではないのだ.あまりにもむずかしい,しかも大型日本語辞書にも載っていないような造語だからわからないのである.

 以下に,特許・実用新案明細書にみる難解用語を紹介する.

閾値(いきち/しきいち)=限界値,最小エネルギー値
 掩覆(えんぷく)=被せ隠すこと
 嵌装(かんそう)=嵌めた状態に備えつけること
 跨恢にかん)=両者をまたぐようにはめこむこと
 撓曲(とうきょく)=たわみ曲げること
 攫動(はいどう)=開き,動くこと

○勢車(はずみぐるま)=フライホイール
 螺嵌(らかん)=ネジ嵌めをすること

○連綴(れんてい)=つなぎ綴じること

○印は,『広辞苑』に掲載されているが,他は造語である.I

 外国人が日本語で明細書を読むヶ-スが増えている,という.このような言葉の羅列では,外国人どころか日本人でも読めない.山田尚勇氏(東大名誉教授)がこう嘆く.「日本は,21世紀には,言葉という点で世界の孤児になってしまう」

 『広辞苑』などの大型国語辞典,そして技術用語については,日本工業規格(JIS),または権威ある出版社刊行の用語辞典に依るべきである.企業などで各社専用の用語辞典をつくっているケ-スもあるが,このばあいでも,たいていはJIS用語に準じている.