福祉用具

 

 このように、バリアフリーを環境に対するミスコントロールの是正ととらえ、それによってADL能力が変わってくるとすると、居住者と住宅の中間に位置する環境制御装置として福祉用具の存在が浮かび上がってくる。ところが私たちの身の回りの生活用品はもとより、自動車のような耐久消費財にいたるまで、これまでバリアフリーの観点ではデザインされてこなかった。クルマのトランクにゴルフバックがいくつ積めるかは考えても、車いすを積むことなどデザイナーは考えてこなかったのである。しかし今やようやく福祉用具の開発は盛んになり、各地で開かれる福祉機器展は住宅展を凌ぐ盛況さえ見せている。

 福祉用具には、身にまとったり装着して使う衣類・装具、便器やおむつなどの衛生器具、食器などの日常生活用品、いすやベッドなどの家具、車いすやリフターのような移動機具、ワープロ補聴器などの視聴覚・コミュニケーション機器などがある。これらのうち介護保険による貸与あるいは購入の対象となるものは、厚生省の告示によって種目が定められている。

 住宅も被服と同じように人間の皮膚の延長であると言えるように、福祉用具は人間のさまざまな身体機能の延長である。そして衣服が人体寸法に合わせて仕立てられねばならないように、本来あらゆるデザイン製品が人体寸法に合わせてデザインされねばならないものなのである。しかしそれを阻んできたのが工業生産、そして量産という製造方法であった。そこで福祉用具の開発が盛んになるにつれ、ゴユバーサルデザインとか共用品ということばが聞かれるようになった。そういうことで販路を広げ、コストダウンをはかる意義がないではないが、それとて量産というつくる側の論理である。このことばの提唱者たちによれば、バリアフリーと区別しているようであるが、いずれもバリアフリーということばを狭く解釈しており、その区別もあいまいである。どう言おうと忘れていけないことは、万人に適合する製品は本来ありえないということである。

 それは個々人の身体機能のバラエティに起因している。つまり、高齢者と一口にいっても皆が身体障害者であるわけではないし、障害があるといってもその種類と程度は千差万別である。それはユニバーサルデザインと言い換えたところで変わりはない。この当たり前のことが、いざ製品のデザインということになると案外忘れられてしまい、この製品は障害者とか健常者の区別なく使えるということを言うのに一生懸命になって、この製品はどんな障害の人には使えないということ、つまりそのデザインの機能と性能の限界を明確にすることの大切さが忘れられているのが現状である。

 これはいずれスタンダードとして整えられねばならないところであり、福祉用具における今後の課題である。今のところ福祉用具の開発すら十分ではなく、そこまで整備が進んでいないが、本来こういうことは並行して進めるべき性質のものである。