セフタジジム耐性クレブシエラ

 すがるような思いで、レハイルは、イミペネムに最後の望みをかけた。イミペネムは、彼がバンコマイシングラム陰性菌版と呼ぶ薬だった。これまではたいていイミペネムは効果をあげてきた。セフタジジム耐性クレブシエラやセフタジジム耐性アシネトバクターをやっつけてきたのである。そしてある囗、研究所の主任が寒天培地を手に心配そうな顔をして、レハイルのオフィスに顔をだした。主任研究者は、初めてイミベネムに耐性のクレブシエラを観察し、その意味するところがどれほどおぞましいかをよくわかっていたのである。イミペネムが役に立たなくなれば、多くの感染患者が命を落とすだろう。この菌株は臨床で入手できるすべての薬に耐性をもっているのだから。

 そこで病院の承認を得たうえで、レハイルは厳格な対策をとることにした。性が、この菌にイミベネムヘの耐性をもたらした。まるで階段を昇るように、に対する耐性を一歩ずつ獲得したのである。レハイルは病院の処方薬の記録を調査し、納得した。セフタジジムが病院で大量に投与されており、二年前に比べて六〇〇%も増加していたのである。抗生物質を投与すればするほど、その菌は耐性を獲得していく。この流れを変えなければならない。

 答えは、セフタジジムなど、すべてのセフアロスポリン系抗生物質の使用をやめることだった。そうすれば、おそらくセフタジジムESBLは消滅し、いったんセフタジジムESBLが消えてしまえば、イミペネムヘの耐性もまたなくなるはずだ、とレハイルは期待した。そこで病院の医師は、レハイルの許可なしにはセフアロスポリンを処方することができなくなった。そして許可は、患者の生命が危険にさらされている場合と、ほかの薬では効果が得られない場合に限られた。その後の三年間、効果がでるのが遅い薬の利用により、回復にやや時開かかかった患者も多かっただろうが、それで死亡した患者はいなかった。手術がおこなわれる集中治療室では、セフアロスポリンがもっとも広く使われていたが、レハイルの対策によりセフタジジム耐性クレブシエラの発生数を八七・五%も減少させたのだった。