ボルティモア復員軍人医療センター

 アメリカでは、もっとも高い耐性率はたいてい東海岸で発生していた。グレンーモリス医師が勤務するボルティモア復員軍人医療センターでは、感染症スタッフのジュディスージョンソンが、ESBLグラム陰性菌の増加を「心底おそろしい」と表現した。しかめ面をした、堅物の微生物学者であるジョンソンは、こう言及した。「どんな耐性の問題でも、歴史的にながめれば、最初にいくつかの分離株の症例が発生し、だれかがそれを論文に発表する。五年後にはその耐性率は○・○一%になり、そのまた五年後には五%になり、そしてその二年後には五〇%になり、もうその微生物に対してその薬を使うことはできなくなる、といった経緯をたどるものだ」と。「まだ大半のグラム陰性菌に薬剤は効果をあげているが、耐性率は上昇をつづけており、医師はもはや確実な薬に頼ることができなくなっている」とジョンソンは説明した。「たとえば、これまでの経験からセフアロスポリンに頼ろうとしても、もう無理なのだ。だから、患者がどんな耐性菌をもっているのかわからないうちに、医師が投薬計画を立てるのはますますむずかしくなっている」と。

 クイーンズの窓のないオフィスで、ジムーレハイルは、しばしば考え込んだ。「なぜ、ニューヨークばかりが、耐性グラム陰性菌の攻撃を受けているように見えるのだろう? ちょっと車を走らせ、ハドソン川を渡れば、ニュージャージー州の病院ではまったく耐性グラム陰性菌が検出されないというのに。それは、いったいなぜなのか?」と。その一因は、おそらく社会経済的な背景にあるはずだった。ニューヨーク病院クイーンズは、総じて貧しい高齢の患者の治療にあたっている。だが、レハイルが訪れたニュージャージー州の病院は、もっと福な人々を相手にしていた。栄養バランスのいい食事を摂っている患者たちは、きっと、生涯にわたってよりよい医療の恩恵にあずかっているはずだった。それに、レハイルの患者たちは、よく老人ホームからやってきていた。老人ホームでは、耐性菌が免疫力の衰えた理想的な宿主のおいたに広かっていた。そのうえニューヨークで最高級の私立病院でさえ、ばらつきはあるにしろ、耐性菌の攻撃を受けているはずだった。というのも、ニューヨークという土地は、地方の病院で紹介を受けてきた患者が集結する場所であるからだ。がんや慢性病を患う患者がアメリカの北朿部じゅうから、ニューヨークの病院で治療してもらおうとやってくる。こうした患者はすでに多量の抗生物質を投与されており、やはりグラム陰性菌の完璧な宿主であった。