キングズブルック・ユダヤ医療センター

 ブルックリンの開業医デイヴィッドーランドマンは、どうにかしてセフタジジム耐性クレブシエラーレハイルの当初の強敵に対抗しようと、タソバクタムーピペラシリン薬を投与していた。ところが、タソバクタムーピペラシリン耐性のアシネトバクターが検出されるようになったため、こんどは 288ほかの薬を投与した。セフタジジムで失敗したときに、最後の頼みの綱にとっておこうと、投与を控えていたイミペネムなどの薬の利用をはじめたのである。それでも、自分が負け戦を闘っていることを、ランドマンは自覚していた。ほかのブルックリンの病院や地域の老人ホームから流れてきた患者は、イミペネム耐性アシネトバクターをもちこんできた。すると徐々に、イミペネムやセフアロスポリッ系抗生物質(セフタジジムなど)、それに病院で一般に利用されているほかの抗生物質に耐性をもつ分離株が検出されるようになった。二〇〇一年の秋には、とうとう、あのおそろしいポリミキシンにさえ耐性をもつ分離株が見られるようになった。ぞっとする話たった。なぜならそれは、こうした菌株に投与する薬が、もうランドマンにはないことを意味していたのだから。

 こうした多剤耐性アシネトバクターの新しい菌株は、どうしてこれほどらくらくと病棟から病棟へと旅をするのだろう? キングズブルック・ユダヤ医療センターのそばで、ランドマンの同僚であるスティーヴンーブルックス博士は、おそろしい実験をおこなった。ブルックスは「いくら確立した感染症対策を厳格に実施しても、往々にしてアシネトバクターの増殖を食い止めることができないのはなぜだろう」と考えていた。するとブルックスの頭にある仮説が浮かんだ。「もしかしたらアシネトバクターは、接触だけではなく、空気感染で広がっているのではないか?」