アシネトバクターの予防措置

 ブルックスは、培養シャーレを取りだし、そこに細菌の成長をうながす寒天培地を満たし、それをアシネトバクターが気道に感染している患者の、ベッドの頭板から一定の距離のところに置いていった。培養シャーレは、患者の病室のすべての壁とすべてのドアから一定の間隔をおいた場所に置かれた。数時間後、その培養シャーレを分析したところ、患者から三〇センチほど離れたところに置いた培養シャーレの四割から、活発なアシネトバクターが検出された。ところが、患者から三メートル三〇センチほど離れたところに置いた培養シャーレからも、おなじ割合でアシネトバクターが検出されたのである。二〇〇〇年五月、ブルックスは、ある医学誌に「アシネトバクターは、病室の外に置いたシャーレからも数株検出され、同様にナースステーションのような遠いところ、病室から六メートル七〇センチほど離れたところからも検出された」と報告した。この菌株は、患者の肺から検出された株と同一だった。

 「この実験はアシネトバクターがそれほど遠い距離にいる人々にも定着する、あるいは感染症を発症させることができると立証したわけではなく、ただ、この菌がそれほど遠くに広がることをしめしただけである」とブルックスは注意深く記した。だが彼自身の病院では、アシネトバクターの予防措置は「接触」から「飛沫」の標準へと格上げになった。気道にアシネトバクターが感染した患者からIメートル以内に近づく者に対しては例外なく、医療従事者の全員が手術マスクとゴーグルの着用を義務づけられたのである。

 ブルックスが知るかぎり、アメリカのほかの病院からは、あるいはどこからも、先例にしたがっておなじ予防措置をとったという報告はあかってこなかった。