青カビ(ペニシリウム菌)に関する観察

 ペニシリンを発見したフレミングと同様に、ザスロフは偶然を通じてこの発見をなしとげた。そして、こんどはまた妙な手法で分析されようとしていた。すぐにゲノムが、細菌のDNAを分析する殼新技術装置を用いて卜L偶然による発見とは正反対の方法でI薬の発見を秩序だった高速の探索に変えた。だが、それぞれの遺伝子を標的にすると、狭い範囲の細菌にしか効果のない薬を生むことになる。だが狭域の効果しかない薬だけに頼りたがる医師などいない。とくに患者が感染していた菌の培養が、検査室で分析されるまでに数時間もかかる場合には。それに、ひとつの細菌の遺伝子を攻撃するよう設計された薬は、すぐに攻撃目標を変える突然変異を起こすかもしれない。つまり新しい種類の広域効果のある抗生物質もまた必要であり、こうした最高の抗生物質は、ゲノムによる手法ではなく、やはりフレミングやザスロフが体験したような、発見の瞬間によってもたらされるようだった。新しい部屋の扉をひらくように、これまでと異なる手法が突然、はっきりと、目の前にあらわれたのである。それまでは天然物質を基本にした抗生物質は、すべて土壌中の細菌か真菌類から発見されていた。つまり、動物の体内にある物質からヒト用の抗生物質ができるとすれば、それは、とてつもなく広い部屋につづく扉がひらくようなものだった。

 フレミングが青カビ(ペニシリウム菌)に関する観察を報告したときから、世界は大きく変わった。当時、この報告は十年以上、世間から注目されなかった。そしていま、バイオテクノロジーのベンチャー資本家は、医学誌に目を通し、十億ドルのカネを生む新たな分子をさがしだそうとしていた。ザスロフはといえば、その後、国立衛生研究所の実験室から飛びだし、ウォール街のカネとウォール街の期待を背負った「新しい株式会社の会長」に就任した。彼のマゲイニンは「次世代の期待の星」として大々的に喧伝された。のちに一億ドル近くもの資本金を集めておきながら、彼はまた市場に新しい抗生物質をもちこもうと挑戦した、一匹狼の悲劇のヒーローとして、後世に教訓を残すことになったのである。