国立衛生研究所に就職

 戦後早い時期のベビーブームに生まれ、ニューヨーク市ブロンクス科学高校で学んだザスロフは、胸をときめかせて周期律を学び、家庭用化学セットをいじり、アメリカ自然史博物館に足しげく通った。コロンビア大学を優等で卒業し、ニューヨーク大学医学部で、ノーベル賞受賞者である分子生物学者セヅエローオチョア博士に師事し、臨床医学と科学の研究に同等の魅力を感じた。基礎科学と臨床医学を両方学んだことで、ザスロフは、双方の情報を利用することができるようになった。一九六〇年代半ば、ボストン小児病院の小児病棟で研修医をつとめていたころには、「嚢胞性線維症」をわずらう乳児の気道には黄色ブドウ球菌緑膿菌などの病原菌が定着している痰があることを観察した。悲しいことに、こうした感染症はあっというまに乳児の気管支と肺を破壊した。嚢胞性線維症の原因は謎のままたったが、この病に苦しむ乳児の免疫システムにはこれという欠損がなかった。ザスロフは疑問をもった。こうした乳児には、まだだれも確認していない「免疫システムの欠損」がどこかにあるのではないか?

 ザスロフは結局、臨床医学より科学を選び、ベトナムで戦うかわりに、公衆衛生に身を捧げようと国立衛生研究所に就職した。だが嚢胞性線維症の乳児の謎は、彼のなかから消えなかった。一九八一年、ハンスーボマンというスウェーデンの研究者が、ザスロフの当て推量の証拠となりうるものを発見した。ボマンは、哺乳類の免疫システムのようなものがないにもかかわらず、どうやって昆虫は日常的におそってくる感染を撃退しているのだろうと、疑問に思ったのである。そしてボマンは、カイコガのセクロピア蚕は、細菌にさらされると抗菌作用のあるペプチドを分泌することを確認した。ザスロフがとくに興味をもっだのは、こうしたペプチドは、細菌を殺しはするものの、動物の細胞は殺さないことだった。もしかすると、ヒトの乳児もおなじようなペプチドをもっているのかもしれない。細菌は殺すものの、自分自身の細胞は殺さない、という抗菌作用のある防衛策を身につけているのかもしれない。

 おそらく嚢胞性線維症になった乳児には、こうした微妙な防御機能が欠けていたのだろう。