学究生活を捨て、製薬ビジネスに挑戦

 実際のところ、ボマンは、生物のなかに抗生物質をさがそうとした最初の人物ではなかった。一九六〇年代、ニューヨークのロックフェラー大学の研究者ジョンースピツナジェルは、細菌を殺す能力のあるタンパク質をもつらしいウサギとテンジクネズミを発見したが、その物質を追及する許可を得られなかった。+年後、ロサンジェルスカリフォルニア大学で教授を務めるロバートーレ土フーが、彼が言うところの「かたっぱしから」細菌をやっつけたウサギから二個の分子を分離した。だが、彼もまた、この研究をつづける許可が得られなかった。レ圭フーは、その分子を「ディフェンシン」と名づけ、その名前はいまでも残っている。さて、レ圭フーは、ディフェンシンが三対のシステインというアミノ酸で構成されていることを観察した。この観察から、一九八三年、レ上フーは、ヒトのペプチドを発見した。ペプチドが見過ごされていたのは、分離されると抗生物質の特徴がなくなるからだった。しかし、増殖する細菌といっしょに置けば、ペプチドはその細菌と相互に作用し、結局、細菌を殺した。レ上フーはペプチドに新しい薬の可能性を見たが、同時にこうも考えた。ヒトの体内にすでにあるペプチドを、もっと患者に投与すると大きなちがいがでてくるかもしれない。「まるで石炭の産地に石炭を運んでいくようなものじやないか」と、レ上フーは考え込んだ。そのうえ、学者として学究生活を捨て、製薬ビジネスに挑戦するのもためらわれた。「ほかのだれかにやらせればいい」とレ上フーは判断をくだした。そこで、-ほかのだれかがやってのけた。

 マゲイニンの活動を監視しているうちに、ザスロフは、たいていの現代の抗生物質とは異なり、マゲイニンが細菌のタンパク質をねらって活動するのではないことに気づいた。マゲイニンは、細菌の細胞膜に穴をあけ、通り道をつくり、水などの物質が流れ込むイオンチャネルをつくる。すると、細菌は溶けてしまう。どうして溶けるかというと、マゲイニンは正の電気を帯びており、一方、細菌には細胞膜にリン脂質という負の電気を帯びた構成物があるからだ。正の電気を帯びたペプドは、まるでよろいかぶとのある殼に穴を開けるようにして、負の電気を帯びた細胞膜をめざして進む。