がん抑制遺伝子

 

 一方,細胞の増殖を抑制するタンパク質をコードする遺伝子が異常を起こすことでがん化させるタイプのがん遺伝子もみつかってきた.それらはがん抑制遺伝子と総称される正常細胞において,遺伝的にあるいは環境の作用によってがん抑制遺伝子が欠損すると,増殖抑制がきかなくなり無秩序な細胞増殖が始まる.このとき,両親から受け継いだ1対の相同染色体の両方のがん抑制遺伝子が欠損しないかぎり抑制作用は残る.つまりがん抑制遺伝子は劣性がん遺伝子(recessive oncogene)と呼ぶこともできる.

 

 がん抑制遺伝子の概念自体は,ある種のがん細胞と正常細胞を融合させると正常細胞に戻るという細胞融合実験によって1970年代にはすでに提出されていた.がん細胞では特定の遺伝子が欠失しており,その結果失われた機能(loss of function)が正常細胞の相同な遺伝子によって相補されたと解釈されたのである.

 

 がん抑制遺伝子の最初の実例は1980年代に入って,小児の眼に腫瘍が生じる網膜芽細胞胚(Rb : retinoblastoma)という,まれな遺伝性のがんの原因遺伝子(.Rb)として発見された.発がん家系の遺伝子連鎖解析と染色体欠失の解析から網膜芽細胞胚の発生にはRbが配座する染色体領域(13 q 14)の欠失が密接にかかわっていることが示されたのである.患者は先天的に13 q 14 の欠失を片方の親から受け継いでいるが,もう一方の親の正常Rbのおかげで腫瘍は発生しない.ところが後天的にもう一方の正常Rbに変異が起こると確実に網膜芽細胞腫が生じてしまう(これをツーヒットモデルと呼ぶ).この領域は変異が起こりやすく,平均14ヵ月という若い発症平均年齢で患者は両眼に腫瘍を起こしてしまう.網膜芽細胞胚には非遺伝性のものもあり,その場合は両染色体のRb座位に変異が重ならなければならないせいか,発症年齢は遅くなり腫瘍も片眼に起こることが多い.Rbの塩基配列が決定され,Rbタンパクの機能が調べられた結果,Rb夕ンパクは核内に存在し細胞周期制御に深くかかわっていることがわかっている.

 

 これ以降,がん抑制遺伝子の実例は着実に増加してきた.これらがん抑制遺伝子においてはヘテロ接合性の喪失(LOH: loss of heterozygosity)という現象が観察されるため,染色体欠失のよい診断指標となっている.ヘテロ接合性とは両親から受け継いだ相同遺伝子の構造が微妙に異なる現象のことで,適切なグローブの選択によってRFLP を用いて2本のバンドとして検出することができる.LOHとぽかん抑制遺伝子の欠失が原因で起こるがんの場合に,そのがん抑制遺伝子をプローブとしてRFLPを検索すると,この2本あるべきバンドの一方が喪失して1本のバンドしか見いたされなくなっている現象である.

 

ほかのがんでも類似の過程が進んでゆくと考えられている.ない点である.かわりに数少ないがん抑制遺伝子が,多くのがん患者のがん細胞で高頻度に欠失している.この事実は,がん遺伝子の機能解明以上にがん抑制遺伝子の機能解明が臨床的に重要ながんの治療と予防において大切であろうことを示唆している.さらにがんにおける染色体の不安定性の原因を究明することが,今後のがん研究における重要なポイントであることを示している.