ヒトゲノムプロジェクトのもたらす夢

 

 さまざまな病気において遺伝子の変異が重要な役割を果たしていることがわかってからは1つ1つの病患の原因遺伝子をクローニングするために莫大な費用と労力がかけられてきた.その件数が増えるにつれて,前もって組織的にヒトの全ゲノムの塩基配列を決定しておいたほうが将来的にはよほど効率がよいのではないかという発想が生まれてきた.ヒト全ゲノムは22組の常染色体とX・Y性染色体の合計23対の染色体に分かれて収納されている.各染色体は長さが異なるだけでなく染色液によって特有の縞模様を形成する二とがら顕微鏡下でも区別できる.ヒトゲノムプロジェクトは,これらの染色体を1つずつ取り上げて遺伝子の地図をつくり,体系的にDNA断片を集め,その全塩基配列を決定しようとする,莫大な労力と資金のかかる国家プロジェクトである.その計画はヒトゲノムマッビングを推進してきた研究グループとはまったく別の, DNA構造の解析を指向していたグループからかきあがってきた.その計画を遂行してゆく過程でヒトゲノムマッピンダグルーブも徐々に取り込まれていったのである.

 

 1985年,ジンスハイマー(R. Ginsheimer)の主宰したカリフォルニア大学サンタクルツ校での会議によってヒトの全ゲノムの塩基配列を決定しようというヒトゲノムプロジェクトが正式に提案され,検討が始まった.一方, 1986年には医学的・学間的興味とは別の視点から米国エネルギー省のデリシ(C. Delisi)も同様な計画を考えていた. DOEは1970年代のエネルギー危機のさいに創設された省庁で,80年代に入って状況が変化し,社会や議会に訴える新しい魅力的なプロジェクトに存亡をかけていたのである. DOEは第二次世界大戦時のマンハッタン計画(原子爆弾プロジェクト)から引き継いだ4つの国立研究所を管轄していたので,放射線の生物学的影響の研究にかかかる遺伝子の突然変異と塩鉄配列の決定という意味ではヒトゲノムプロジェクトとも無関係ではなかった.デリシは1986年にはサンタフエで会議を主催し,彼のアイデアに賛同したノーベル賞受賞者分子生物学者ギルバート(W. Gilbert)を担ぎだして「ヒトゲノムプロジェクトはヒト遺仏学における聖杯である」と宣伝した.ギルバートは自らの手でゲノム研究機関(ゲノム社)を設立して,私的に計画を実行に移そうとまでしてヒトゲノムプロジェクトを推進した.確かに人脈の広いギルバートの熱意のおかげで多くの著名な分子生物学者がヒトゲノムプロジェクト推進派の仲間入りをした. 1986年にはサイエンス誌の巻頭論文でノーベル賞受賞者のウイルス学の泰斗であるダルベッコ(R. Dulbecco)は,ヒトゲノムの塩基配列決定によってがんに対する研究がいっそう速く進展するであろうと訴えてゲノムプロジェクトの推進を手助けした.

 

 来国のコールドスプリングハーバーでは1986年6月に「ホモサピエンスの分子生物学」という,標題は地味だが内容は画期的なシンポジウムが開催され,人類遺伝学と分子生物学の巨人たちが一堂に会してヒトゲノムプロジェクトの意義を議論した.しかし結論は推進派にとっては思わしくなく,多くの科学者は一般研究が圧迫されるのを恐れて,無分別に塩基配列を決定するという方針を批判しだ.この会議の後に出たゲノムプロジェクトの修正案では,解析対象はヒトに限らず基礎研究に重要な他の生物も含めて染色体地図と塩基配列決定という方向に移っていった.その線に沿って酵母と線虫のゲノムプロジェクトが真っ先に動き出しか.実際, 1996年の夏には出芽酵母の全ゲノム(約2000万塩基対)のDNA塩基配列が決定されて大きな話題となった.分裂酵母や線虫の全ゲノム塩基配列決定もあとわずかで完成するという.

 

 1988年,ワトソンが国立衛生研究所(NIH)のゲノム事務局を率いることになって事情は一変した.DNAの父としてのワトソンがゲノムプロジェクトを強く推進するようになってから, NIHはDOE以上の予算をゲノムプロジェクトのために計上するようになった.その後,米国では本格的にゲノムプロジェクトが推進されており,21世紀初頭にはヒトの全塩基配列が決定される予定である.

 

 1986年のダルベッコによるサイエンス誌の巻頭論文は世界中の研究室で大きな論議を巻き起こした.真っ先に対応したのはイタリアで,イタリア出身のダルペッコを運営委員長にして1987年には早くもゲノムプロジェクトをスタートさせた.基礎研究の上では後進国であったイタリアは,分子生物学で世界をリードする立場にたつ近道はゲノムプロジェクトにあると考えたのである.英国では医学研究委員会(MRC)のブレンナーとイギリスがん研究基金(ICRF)のポトフー(W.Bodmer)とが中心となってゲノムプロジェクトをスタートさせた.フランスではCEPHを中心に計画がスタートしか.そのぼかドイツ,デンマーク旧ソ連,日本,カナダなどでも計画がスタートし,情報の先取権や公開を巡って政治的な色彩を帯びてきた. 1988年のコールドスプリングハーバーのシンポジウムでHUGO(human genome organization)と呼ばれる国際組織がっくられ,定期的に国際会議を開いたりして各国間の調整を行っている.

 

 ヒトのゲノムに刻まれた30億個もの塩基配列は,生命が地球に生まれてから40億年の間にしるされてきた地球最古の古文書であるともいえる.その解読は人類にとっての貴重な知的財産となる.ヒトで成功すれば,その余勢をかってその他の高等生物のゲノムプロジェクトも遂行されるであろう.現にイネやブタなどの,より生活に密着した生物のゲノムプロジェクトもすでにスタートしており,技術が年々進むにつれて塩基配列決定のスピードもますます早くなっている.この知識をもとにすることで21世紀には基礎生物学がさらに飛躍的に発展することが期待できる.そうすれば応用生物学の研究も加速されるであろう.たとえば遺伝的組換え農業がいっそう進展し,砂漠や極地など従来では植物が育たなかった環境においても農産物が収穫できる日が到来するかもしれない.植物に医薬品を作らせる試みも進むであろう.現にタバコにつくらせたヘモグロビンは動物のヘモグロビンと同じ効率で血液中で酸素を運ぶという.輸血用の血液をぽかの動物や植物につくらせるなどという話は従来は夢物語であったが,基礎生物学の知識が増せば現実化も夢ではなくなる.クローン家畜を産み出すことの成功は畜産業に革命をもたらすだけでなく,家畜に有用なバイオ医薬品を大量につくらせる技術が飛躍的に進展したことを意味する.

 

 医学の世界では将来大きく進展するであろう遺伝子診断・遺伝子治療・DNA鑑定などにおいてDNA塩基配列の情報は必須のものとなる.遺伝子診断の技術が進むにつれて,個人が自分の遺伝子の弱点を知って病気の発症を予防するという新しいタイプの予防医学の分野が開かれるかもしれない.その意味で仏ゲノムブロジェクトの成果は生活により密着した影響を及ぼすことになるであろう.その影響はよい点も多いが,悪用されると取り返しのつかないような危険な事態に陥る恐れも十分にある.

 

 その1つにDNA鑑定による個人の遺伝情報の検査がある.ヒトの全塩基配列が解明されてしまうと,個人の持つDNA塩基配列の特定の部分をPCRによってたちどころに解析できるようになる.これは考えてみると恐ろしい技術である.なぜならばDNAの情報は被験者となった本人のみでなく,その親族や子々孫々までの遺伝情報が把握されてしまうことを意味するからである.もし,この情報をある機関で集中管理されることになると,情報ファシズムにつながってゆく恐れかおる.とくに個人情報の保護という意識の薄い日本においては,いったん動き出して,その後なし崩し的にDNA鑑定が進んでゆき, DNA情報が大量に蓄積してしまうと歯止めがきかなくなってしまうであろう.多くの国民がこの危険性を早めに察知し,前もって法律を整備してプライバシー侵害から個人を守る体制をとっておくことが必要であろう.