遺伝子診断のもたらす諸問題

 

 遺伝子診断の技術が進展してゆくにつれて,成人や小児だけでなく胎児までが将来どのような病気にかかりやすいかがわかるようになってきた.さらには誰を結婚相手に選ぶかによって,将来生まれてくるであろう子供が中年以降にかかるであろう病気の予測をつけることさえできる.この知識をうまく利用すれば,前もって予防を施すことで本来は発症したであろう病気を未然に防ぎ,病気が軽いうちに治療することができる.これで多くの人が大寿をまっとうするまで健康でいられるという夢に一歩近づくことになろう.

 

 多くの遺伝性疾患の原因となる遺伝子の変異は劣性であるため,片方の染色体の遺伝子が変異を起こしていても発病しない保因者は予想以上に多い.保因者同士が結婚した場合にのみ,その両親から生まれてくる子供のうち4分の1の確率で両方の染色体の遺伝子がともに変異した子供が生まれ発病するのである.そこで赤ん坊が母親の子宮にいる間に羊水を採取して,その中に混入してくる少数の胎児の細胞からPCKによってDNAを採取して遺伝子診断をする.そのときに胎児の遺伝子が両方とも変異していればその子は生まれてくると必ず発病する.しかし,たとえば胎児の段階でその子が生まれれば必ず発症するという事実が判明した場合,堕胎すればよし,という風にわりきれない倫理的・宗教的な諸間題が新たに生まれてくる.それだけでなく,保因者同士の夫婦でも正常な子供のみを産付ことで正常な遺伝子を残すことは人類全体のためによいという発想は,優生学的な差別感を人々の心の中に植えつけるのではないかというおそれも生じるのである.

 

 自分が,あるいはやがては生まれてくる子供が遺伝子診断によって病気の原因となる素因遺伝子を持つかどうかがわかることが,社会的にどのような間題を引き起こすか否かはまったく未知である.もし,その病気についてしっかりと治療や予防の方針が定まっていて,遺伝性素因を持っていることがわかった場合に,なんらかの治療や予防を施せば発症が防げるならば,遺伝子診断は有用な情報をもたらすことになる.しかし「あなたはこの恐ろしい病気を20年後には必ず発症しますよ.でもその予防法も治療法もありません」というような遺伝子診断をしてもらってなんのメリットがあろうか.予防も治療もできないのなら知らずに過ごしたほうがよほど幸せである.そうなると自分が素因遺伝子を親から受け継いでいるか否かを知りたいと思う権利とともに,知りたくないという権利もわれわれは行使できるはずである.その権利をどのような形で保障するかについて法曹関係者のみでなく幅広い国民の議論が必要となってくる.

 

 次に間題となってくるのはプライバシー保護の間題である.遺伝子診断のデータのようなプライベートな情報は必ずや悪用される危険をはらんでいる.米国ではすでに生命保険会社が,保険に加入するさいに遺伝子診断の結果を提出させた場合,遺伝性病患の素因遺伝子保有の如何によって掛け金をどう変えるべきかという計算を始めているという.遺伝子診断の結果と現在行われている医師の診断書の提出とを同列に考えてよいものなのか,これはむしろ人権間題ではないのか.大いに議論すべきであるだけでなく,早めに法律制定などして手を打っておかないと現実のほうがずっと早く進んでしまう可能性かおる.遺伝子診断の結果が,生命保険のみでなくスムーズな就職や結婚の妨げにまでなり,新たな差別を生かようになれば明らかに人権問題である.情報管理のルールと個人のプライバシー保護に関する制度を法律的に完備する準備を一刻も早くスタートするべきである.