ノミの脅威

 ガリマンの発見が示唆するものは、身の毛のよだつものだった。ヒトの病原菌としてこの世に登場してから二千年ほどのおいたに、ペストは世界じゅうで何度も流行してきた。たいてい都会の人口密度の高い環境で流行し、約二億人もの人々の命を奪ってきたのである。ペスト菌は、土壌中の細菌として発生し、ノミの腸に定着し、一匹のノミから次世代のノミヘと、無事に伝えられてきた。だが理由は定かではないものの、この細菌は突然行動を起こし、食べた血液をノミの腸へと流す経路をせきとめ、ノミを飢餓状態におちいらせた。ノミはどうしようもなく空腹になり、血液をがつがつと求めるようになる。すると、身近にいる温血動物であるげっ歯動物にノミは注意を向けるが、そのげっ歯類はたいていクマネズミである場合が多い。ノミはクマネズミのあたたかい体毛に棲みつき、おいしいご馳走に食いつき、新しい宿主を感染させる。そのクマネズミがヒトのそばに移動し、食料品店のなかでご馳走をあさりはじめると、ノミはつぎのご馳走めがけて跳びはねる。ヒトの血液というご馳走に。そして、ふたたび感染が広がる。いったんヒトの血流に侵入すれば破壊的な病原菌をつくる遺伝子群を、ベスト菌は、数十億年をかけて獲得した。たいてい、この菌は最初にリンパ節に感染し、鼠径部やわきの下に膿のつまったリンパ節を腫れあがらせる。この感染症が血流にはいりこめば、内臓を破壊し、血管の出血を起こし、鼻や耳から血を流させ、しばしば意識障害をもたらす。時にはペストが肺に広がり、感染性の肺炎をひき起こす。この不運な保菌者は、血痰の咳き込みで菌を伝播し、劇的に増殖を加速化させる。そして数日後には、町を破滅に追い込んだ。これは、もちろん抗生物質の時代がはじまる前の話であり、抗生物質が効く菌株がもたらした災害だった。 ストレプトマイシン、クロラムフェニコール、テトラサイクリンの出現により、一九六〇年代になると、この世界規模の脅威は歴史上の脚注にまで勢いが衰えたかのようだった。しかし、ペストについてきちんと勉強したことのある学生には、この病原菌には、なんらかの自然の変化によってひっかきまわされるまで、数十年ものあいた土壌で休眠できる能力があることがわかっており、決してひとりよがりに満足してはいなかった。一九九四年、インドで発生した地震が、どうやらそうした変化を誘発したらしく、埋められていた土壌中の細菌をかきまわし、ノミからクマネズミへ、そしてクマネズミからヒトヘとつながる、感染の鎖の発端をつくった。広範な地域を恐慌状態におちいらせ、二〇億ドルもの損害-その大半は観光業界の損失たったIをだし、感染者は六三〇〇人にも及んだ。ところが、命を落としたのはその半分だけだった。このインドで復活したペスト菌は、抗生物質に対して完全に感受性があったからである。