ヒトにもある狂牛病  

 

 狂牛病はウシが気が触れたかのようによだれを垂らしてふらふらし,しだいに歩けなくなって死んでゆくという気味の悪い伝染病である.感染して死亡したウシの脳にはスポンジ状の孔が多数生じているところから,正式にはウシ海綿状脳症(BSE:bovine spongiform encephalitis)と呼ばれる.近年までは非常にまれであった狂牛病も1988年に英国で突然に多数のウシが発病しはじめ, 1992年をピークとしてこれまでに16万頭以上の発病が報告されるにいたって畜産業界に打撃を与える大きな社会問題となった.もっと深刻なのは狂牛病に感染したウシの肉を食べたヒトにも感染する疑いが濃くなったことである.英国で20歳代の青年が狂牛病と同じ症状で死ぬという事件が最近になって10例も続いたことは不気味な前兆であろうか.

 

 狂牛病とよく似た病気は,ヒツジが狂ったように毛をかきむしるスクレイピー(scrapie)として50年以上も前にすでに報告されていた.ヒツジのみでなく多くの草食性の家畜において類似の病気がまれにではあるが発見されており,病気にかかった動物の脳には間違いなくスポンジ状の孔が多数生じていたことから,これらは伝播性海綿状脳症(transmissible spongiform encephalopathy)と総称されていた.実はウシの間で最近このように狂牛病が蔓延した原因はスクレイピーで死んだヒツジの肉や臓物を乾燥飼料にしてウシの餌に混入させ,その餌を食べたウシがほとんど感染してしまったためである. 1989年までには英国政府が羊肉の混入された動物飼料を禁止し,感染牛を大量に消去Nするという措置を行ったおかげで狂牛病の発生は沈静化した.

 

 狂牛病様の病気はヒトにおいてもすでにいくつか報告されていた.パプアニューギニア高地原住民に発症する小脳性運動失調症のクールー病(Kuru disease)は,やはり脳にスポンジ状の孔が多数生じて運動失調を起こし,手足は震えながら死んでゆく(kuruとは現地語で“震える"を意味する).部族に特有の死者の脳を食するという祭礼習俗に伝播の病因があり,それを廃止させたところ発病は治まった.ガジュセック(D. C. Gajdusek)らはクールー病患者の脳組織をチンパンジーの脳に接種することにより特徴的な海綿状脳を伝播させることに成功し,この病気が伝染性であることをはじめて証明した.

 ヒトのクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD : Creutzfeld卜Jacob disease)も100万人に1人というまれな進行性痴呆症として報告されていた. CJDの患者は60歳を超えて痴呆症状を発症し,遺伝よりも出生後の遺伝子変異,あるいは感染が疑われているが,地域や家族内に集積するという報告もある.また硬膜移植,角膜移植,脳外科手術などにより感染したヶ-スも世界中で数十例ほど報告されている.一方,同様な症状を呈するグレストマン・ストラウスル症候群(GSS:Grestmann-Straussle syndrome)は稀少な特定家系に優性遺伝する小脳性運動失語症である.いずれも発症までに長い潜伏期間(5~10年)を示す遅発性感染症であるため従来は遅発性ウイルスの感染が疑われていた.またアルパー(Alper)病も遺伝的に小児に特発するきわめてまれな脳変性病患である.発病後はいずれも亜急性進行性となって患者脳組織は海綿のように変性して死亡する.